『積恋雪関扉』<つもるこいゆきのせきのと>

 常磐津の大曲「積恋雪関扉」は、天明4年(1784)11月江戸・桐座の顔見世「重重人重小町桜<じゅうにひとえこまちざくら>」の二番目大切に上演されたのが初演である。関兵衛に初代中村仲蔵、宗貞に二代目市川門之助、小町姫・墨染に三代目瀬川菊之丞と、当時の立者を揃えた豪華な配役だった。初演後の十数年間は再演されなかったが、寛政から文化(1789~1818)にかけて初代市川男女蔵が復活させた後、江戸では好評を博して上演を重ね、今日に至る。寛政期(1789~1801)には男女蔵によって上方へも移入されたが、江戸ほどの人気は得られず、五代目市川海老蔵が大坂で関兵衛を演じた嘉永2年(1849)以降、ようやく上演を重ねるようになる(展示№32)。
 
 仁明天皇崩御の後、大伴黒主は逢坂山の関守・関兵衛に身をやつし、天下調伏を企んでいる。逢坂関の辺りには先帝ゆかりの墨染桜の大木があり、そこで良峯宗貞が庵をむすんで先帝の菩提を弔っていたところ、宗貞と恋仲の小町姫が訪れる。関兵衛の懐から紛失した朝廷の勘合印と割符が落ちたことにより、宗貞は関兵衛の素性を見破り、小町姫に朝廷へ訴えさせる。一方、関兵衛は大盃に映った星を見て時節到来を悟り、墨染桜を護摩木にしようと鉞<まさかり>を振り上げるが、妖気に打たれて眠りに落ちる。その時、桜の中から傾城墨染実は桜の精が現われ、廓話に興じて関兵衛の本性を探る。関兵衛が大悪人大伴黒主であると正体を明かしたとき、墨染も本性を現わし、遂に黒主の陰謀は破れる。

 展示No.29は、小町姫が関の通過を乞う場面を描いた三枚続。この後、関兵衛の振りに有名な「生野暮薄鈍<きやぼうずどん>」がある。展示No.28の表紙には、傾城墨染と関兵衛を描く。後にこの二人が本性を現す際、衣裳に施された糸を抜いて上半身の衣裳を下へ返す「ぶっ返り」と呼ばれる手法で、一瞬にして衣裳を変える場面は本曲の見所の一つである。展示No.27では、衣装が変わった後の場面を描く。黒主の公家装束からは関兵衛の衣裳が少し見えており、ぶっ返りを写実的に描いている。展示No.29や展示No.27のような場面は、絵画でもよく採られており、絵本番付でも絵組を二つに分けて描く例が多い(展示No.31)。黒主の鉞は本曲を象徴する道具であり、展示したすべての絵画資料に描かれている。

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