一枚摺役者評判記と役者評判絵

  役者評判記とは、役者の評判を記した書物の総称である。野郎歌舞伎の時代から既に見られ、万治3年(1660)刊『野郎虫』が現存最古の役者評判記と して知られている。野郎歌舞伎時代の役者評判記は、役者の容色を評する事が中心だったが、歌舞伎の技芸が発達するにつれて役者の技芸評へと重点が移ってい く。元禄12年(1699)の『役者口三味線』以降は、京都の書肆八文字屋八左衛門<はちもんじやはちざえもん>が京・大坂・江戸の三都の歌 舞伎役者を対象とした役者評判記を、毎年正月と三月に刊行するようになった。八文字屋の役者評判記は、黒表紙に半紙二つ切の横本三冊という体裁を持つ(展 示№22)。この定型は、天保の改革以降に役者評判記の刊行が他の書肆へ移行した後も維持され、慶応2年(1866)に最後の役者評判記『役者金剛競』が刊行されるまで継承された。

 八文字屋の役者評判記が定期刊行物として世間に認められる一方で、役者の評判を記す不定期刊行物が様々な形態で存在していた。一枚摺形態の役者評判記や役者評判絵はその好例で、八文字屋役者評判記の中でも特に江戸の情報の質が低下するのに相反して作例が増えている。
 一枚摺の役者評判記は近世後期から作例が増えはじめ、特に幕末期の江戸で多く見られる。展示№16は、顔見世番付の体裁を借りた一枚摺役者評判記である。顔見世番付では上段に役者名、下段に鳥居派の描き方で役者の姿が描かれるが、展示№16では上段に役者評、下段には歌川派で役者の姿が描かれている。
 展示№1718は、役者の評判を戯画化した役者評判絵である。文久期から明治中期(1861-1890)頃の江戸では、諷刺的な意味合いもあったためか、展示№18のような役者評判絵が多数出版された。上方の作例は江戸よりも少ないが、展示№17のようなものも出ており、江戸との対比によって役者の描き方の違いを見る事ができる。展示№19は当時話題となった浅草の富士山の見世物を題材として、役者評判絵と双六を組み合わせたもの。役者たちは造り物の富士山を登っており、描かれる位置によってその時の役者のランクを知る事ができる。

 

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