旧金毘羅大芝居(金丸座)

 旧金毘羅大芝居(通称金丸座)は、天保7年(1836)に完成した日本に現存する最古の芝居小屋。建設当時の姿に近い状態で現存しているため、江戸時代後期の劇場構造を知る上でも重要な意味を持つ。琴平(現、香川県琴平町)は、金毘羅権現の門前町として古くから栄え、江戸時代中期頃より芝居が盛んに行われていた。常設の芝居小屋が望まれて天保7年に完成した金毘羅大芝居は、当時大坂にあった大西芝居という劇場を模して建てられた。三都(江戸・大坂・京都)に次ぐ大規模な芝居小屋として人気役者が来演し、人々を楽しませた。
 しかし、明治期に金光院(現、金刀比羅宮)の手を離れると、人手を転々として度々改称されることとなる。明治33年(1900)に松島直太郎に経営が移り、その後義兄の金丸源次郎が経営を引き受け「金丸座」とし、再度松島に経営が渡った。金丸座は一時映画館となるものの、その後廃館して荒廃の一途を辿っていたが、人々の尽力により昭和28年(1953)に香川県の重要文化財、昭和45年(1970)に「旧金毘羅大芝居」として国の重要指定文化財に指定された。そして、昭和47年(1972)から4年の歳月を掛けて大規模な修復を行い、現在の場所へと移転された(元の場所は、現在琴平町歴史民俗資料館が建っているところ)。
 劇場としては、昭和60年(1985)から「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が復活し、現在も毎年4月に当代人気役者による歌舞伎公演が行われている。廻り舞台やせり、すっぽんの仕掛けは現代でも全て人力で、江戸時代の芝居小屋で歌舞伎を楽しむことができると好評を得ている。また、平成15年(2003)からその翌年にかけて再度改修が加えられた際、新たに背景や大道具を釣り込むための「葡萄棚」、宙乗りの装置「かけすじ」の跡が発見・復元され、江戸時代の舞台機構にさらに近づいた。

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