舞台機構と楽屋

  歌舞伎独特の演出を支えるため、歌舞伎の劇場には様々な舞台機構が用意されている。それらはいずれも、珍しい道具や演出を考案して見物を驚かせようという創意工夫によって、少しずつ完成されていった。宝暦8年(1758)に歌舞伎作者であった並木正三<しょうざ>が、独楽<コマ>まわしにヒントを得て考案したとされる廻り舞台は、舞台中央の床を円形に切り、その上に大道具を置いたまま回転させる舞台機構。展示№6では、舞台上にある廻り舞台の線を見る事ができる。廻り舞台は舞台転換を迅速にするだけでなく、見物の目前で場面転換する視覚的な演出にも効果的に使われている。

 舞台の床の一部を切り抜いた切穴<きりあな>に、大道具や役者をのせて上下させる機構をセリといい、これも並木正三が宝暦3年(1753)に歌舞伎へ取り入れたとされている。展示№9では、舞台上の船から海に落ちるという設定で、役者が下げたセリの中へ飛び込み、床下では舞台から落ちてくる役者を布団で受け止める場面が描かれている。
 花道にあるセリはスッポンと呼ばれ、幽霊や妖怪変化など非現実的な役の登退場(展示№11)や、早替わりのために使用される(展示№10)。電力のない時代では、こうした舞台機構の動力は全て人力で、照明も桟敷上の窓からの自然光と、ろうそくや燭台を用いるしかなかった。展示№10からは、当時の照明方法を知る事ができる。
 舞台裏を覗いてみたいという人々の興味は、舞台機構と同じく楽屋にも向けられた。素顔でくつろぐ役者という題材は、安永9年(1780)の勝川春章画『役者夏の冨士』以来役者絵本でしばしば扱われていた。錦絵では、歌川国貞によって文化9年(1812)頃から俯瞰図の楽屋が描かれるようになり評判をよんだ。展示№7は、一階から三階(三階立ての建築は許可されていなかったので、二階を「中二階」と呼んでいた。)に配置された部屋や、楽屋内で役者や幕内の劇場関係者がどの様に過ごしているのかを見る事ができる。展示№14では、三代目尾上菊五郎の楽屋に『東海道四谷怪談』の戸板返しの仕掛けで用いる骸骨が置いてあったことがわかる。

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