稲富一夢毘沙門天礼拝図 いなとみいちむびしゃもんてんれいはいず
一幅 江戸時代
稲富一夢(1551~1611)の名は直家。砲術家。もと丹後一色氏の家臣で、のち細川忠興に仕える。鉄砲打ちの名手といわれ、砲術書・秘伝書も多く残されている。本図は一夢が文殊菩薩と毘沙門天に祈りを捧げる図様となっている。両図ともに、もと折りたたまれていたことを示す折り目がみられる。文殊菩薩礼拝図を納めた箱書付箋には「慶長十二年秘伝書切」とあり、また毘沙門天礼拝図には「慶長十二年秘伝書巻末切」とあるが、慶長12年(1607)とする根拠を、本図から認めることができない。なお稲富一夢の信仰については明らかかではないが、文殊菩薩については、彼が25歳の時、天橋立の文殊堂に願をかけ、闇討ちの訓練を行ったとの伝承がある。