藤原貞敏
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ふじわらの さだとし
画題
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解説
前賢故実
少年の頃より音楽が好きで、特に琴および琵琶に長けていた。承和中、遣唐使準判官として唐へ渡り、そこで唐人劉二郎という琵琶の名人について学び、両三の調を教えてもらった。まもなく貞敏はこれらの調の奥義を得たので、二郎に数十巻の曲譜を授けられた。二郎はさらに琴や箏を得意とした娘を貞敏に嫁がせた。それから、貞敏は唐で数曲の新しいものを習得して、帰国しようとしたところ、二郎は送別の宴席を設け、紫檀の琵琶と紫藤の琵琶を一つずつ貞敏へ贈った。この二つの琵琶は、貞敏によって日本に持ち帰られて、朝廷の重宝となった。帰朝した貞敏は、参河介、主殿助、雅楽助などを歴任、從五位上を叙せられ、のち雅楽頭に栄転した。斉衡中に備前介を兼任した。天安中、母が亡くなり喪を服し官職を離れた。服喪が終った後に掃部頭を拝し、貞観初年に備中介を兼任した。同九年卒、享年六十一歳。
(『前賢故実』)