聖宝僧正
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しょうぼうそうじょう
画題
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解説
東洋画題綜覧
高僧、洛東醍醐寺の開祖、兵部大輔葛声王の子で弘文帝の末である、十六歳の時、真雅法師により得度し三論を元興寺の順暁に学んだ、其他円宗唯識華厳密教に至るまで悉く研究した、性闊大にして邪を畏れず、相伝ふ東大寺の東坊に鬼が居るとて敢へて居るものがない、聖宝これに赴けば鬼は忽ち去つてしまつた、ある時梁上に大蛇が居た、聖宝之を叱ると忽ち死んでしまつたと、貞観の末醍醐寺を開いて顕密二教を演じ又東南院を南都に置て之を講じた、仁和三年勅して伝法阿闍梨の位を賜ひ、又貞観寺の座主となり後僧正の職に任ず、延喜九年普明寺に寂す年七十八、理源阿闍梨と号す、和尚平生利福を公衆の為めに図ること多く路を修し渡を設け、一丈六尺余の仏像を作ること二十余体に上ると。 (元亨釈書)
これを画いた作、小堀鞆音筆『聖宝僧正』。(歴史風俗画会出品)
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)