夢窻国師

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むそうこくし


画題

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解説

画題辞典

夢窻国師、名は疎石、建治元年伊勢に生れ、弘安元年父と共に甲斐に移り、同六年出家して平鹽山の空阿法師に師事す、その後奈良京都に遊學して顕密の教を修め、更に鎌倉の禪林を歴遊して禪宗に歸し、宋の一山及高峰禪師に参し、遂に其法を嗣ぐ、後諸国を流浪し、正中二年勅語を拝して京都に上り南禪寺に住す、後醍醐天皇、光厳天皇の歸依を受け、又最も足利尊氏及直氏兄弟のために尊信せらる、暦應三年尊氏が後醍醐天皇菩提の為めに嵯峨に天龍寺を建つるに方り、入りて開山となり、叢林の清規を行ふ、貞和元年勅により特に金襴紫衣を賜はる、同二年天龍寺の法席を弟子無極志玄に譲り、雲居菴に退きて、観應二年九月二十九日偈を書し翌日寂す、年七十七、国師為人高潔温厚徳一代に高く、天下の師として尊ばれ徒弟たるもの僧俗を通じて一万三千百四十五人の多きに上るといふ、天龍寺塔頭妙智院所歳の肖像は無等同位の筆にして量も真を得たりと稱せらる、その他天龍寺相国寺及鹿苑寺にも自讃の画像あり鹿王院所蔵二幅の内永璵の讃あるもの及西芳寺所蔵並鎌倉黄梅寺所蔵等、何れも国寶なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)