佐野了伯

提供: ArtWiki
2021年12月7日 (火) 20:08時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動

さのりょうはく


画題

画像(Open)


解説

東洋画題綜覧

豊臣秀吉の臣、越前守昌綱の子、初め修理大夫と称し、後、髪を削り天徳寺了伯といふ、兵法に通じ善く槍を用ふ、小田原の役に功あり、了伯、ある時、琵琶法師を召して悲哀の曲を奏せんことを求む、法師先づ佐々木高綱宇治川先陣の曲を奏す、了伯涙を垂て之を聴き、なほ一番の曲を望む、法師那須宗高扇の的の曲を奏す、了伯聴き終り、左右を顧みてその感想を問うた、左右答へるものが無い、了伯曰く『高綱、宗高の君命を受けて大事の役に当る、事若し成らずんば君命を損じ己の名を失ふ、その苦心如何ばかりぞ、汝等この曲を聴き唯これを楽む、誤りなるぞ』と。  (人名辞書)

これを画いたものに左の作がある。

小堀鞆音筆  『佐野了伯聴平語図』  須賀惣吉氏蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)