三平開胸

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さんぺいかいきょう


画題

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解説

画題辞典

三平は唐代の僧にして、義忠禅師といい、支那福州楊子の子なり。初め石鞏に参ず、石鞏和尚、僧の来るあれば即ち弓を引いて試む。一日三平和尚到る、石鞏弓を張る例の如し、曰く此箭を看よ。三平平然胸を開いて曰く、人を殺すの箭か、人を活かすの箭か、什麼生(そもさん)と。石鞏即ち弓を控えて曰く、吾れ三十年一張の弓に両雙の箭を架け、未だ半個の聖人を射得ずと、遂に弓箭を捨つという。之を石鞏張弓又三平開胸という。石鞏三平の条をも併せ看るべし。

東京帝室博物館に狩野元信の筆(大徳寺大仙院旧蔵)あり、京都聖沢院に海北友松の図あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

三平は唐代の高僧、義忠禅師といひ、支那福州楊子の子、初め石鞏に参す、石鞏常に僧が来れば必ず弓を引いて試む、三平来るや例に依つて弓を張る、三平胸を開いて之に応ず、この故事は『五灯会元』の記すところ、曰く。

漳州三平義忠禅獅、福州楊子、初参石鞏、鞏常張弓架箭接機、師詣法席、鞏日、看箭、師乃撥開胸曰、此是殺人箭活人箭又什麽生、鞏弾弓、弦三下師乃礼拝、鞏曰、三十年張弓架箭秪射得半箇聖人遂拗折弓箭、後参大顛挙前話、顛曰、既是活人箭為什麽、向弓弦上、弁平無対、顛曰、三十年後要人挙此話也難得。

これを画くものに左の作がある。

狩野元信筆  東京帝室博物館蔵

海北友松筆  京都聖沢院蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)