金色堂

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こんじきどう


画題

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解説

東洋画題綜覧

陸中の国平泉に在る堂『ひかり堂』とも称し藤原氏三代の墓廟で中尊寺に属してゐる、其の建立年代に就いては天井裏隅木下に墨書銘があつて「天治元年歳次甲辰八月二十日甲子建立、堂一宇、広一丈七尺長一大七尺、大工物部清国、鍛冶二人、小工十五人、大行事山口頼近、大檀散位藤原清衡女檀安部氏清原氏平氏」とあつて我国現存建築物中代銘ある最古のものであり、特別保護建造物に指定されてゐる。

兼て耳驚かしたる二堂開帳す、経堂は三将の像をのこし光堂は三代の棺を納め三尊の仏を安置す、七宝散りうせて玉の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽ちて、既に頽廃空虚の叢となるべきを、四面新に囲みて薨を覆ひて風雨を凌ぎ、暫時千歳の記念とはなれり。

五月雨の降りのこしてや光堂  (奥の細道)

金色堂を画いたものでは田村彩天の作あり、なほ左の作がある。

蔦谷竜岬筆  『慈雨灌ぐ光堂』  第六回帝展出品

ちゅうそんじ「中尊寺」の項参照。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)