虚堂和尚

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きどうおしょう


画題

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解説

画題辞典

虚堂和尚、名は智愚、支那湖州道場山の運菴巖に契悟し、興聖禅寺に出世す。時に宋の理宗め紹定二年なり、宝祐六年育王山を領す、景定五年詔により浄慈に住す、衲子名声を聞きて雲集し。堂に溢れて入る能わず、大半は堂外に居るという。度宗の成淳三年、径山に遷り、同六年、八十五を以て寂す。その像を画けるもの、

京都天龍寺、妙心寺等にあり、共に国宝なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)