葛野王

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かどののおう


画題

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解説

前賢故実

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葛野王は、器量が大きくて作法やおきてに精通し、秀逸な風采と遠大な見識を持ち、国の棟梁としての才能がある。幼い頃より学問を好み、経書や史書を博く閲覧したことがあって、文章や書画にも長けていた。浄大肆の冠位を持ち、治部卿に任ぜられた。高市皇子が薨去したとき、持統天皇が太子の冊立について群臣と協議することになり、各大臣は私心を挟んで発言しているので、意見がバラバラになってしまった。葛野王は進み出て「我が国は神代より直系の子孫に皇位を伝えてきた。どうして庶子あるいは兄弟に継承させるものだろうか。陛下のいちばん上の嫡孫を冊立すべきだ。」と奏上した。弓削皇子が反論しようとしたが、葛野王は弓削皇子を叱って止めさせた。それで、太子の冊立が決められるようになった。葛野王は後に正四位下の位を授けられ、式部卿に任ぜられた。慶雲二年十二月に逝去、享年四十六歳。

龍門山を遊覧する

命駕遊山水(車を用意させて山水を遊覧することにした) 長忘冠冕情(政治家の気持ちをすっかり忘れてしまった) 安得王喬道(どうしたら中国の仙人王喬のように仙術が得られよう) 控鶴入蓬瀛(鶴に乗って仙人の住む逢瀛へ行きたい)

(『前賢故実』)