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あらうみのしょうじ ---- =画題= ===画像(Open)=== *[http://www.dh-jac.net/db/nishikie/results.php?enter=portal&f85=荒海障子&-format=resultsp.htm&-max=50&f9=*&f11=1 ARC浮世絵検索システム] *[http://ukiyo-e.org/search?q=荒海障子 Ukiyo-e.org] *[http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/search.aspx?searchText=荒海障子 大英博物館Collection_Online] *[http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/search?q=荒海障子 東京国立博物館] *[http://bunka.nii.ac.jp/heritages/search/freetext:荒海障子 文化遺産オンラインDB] *[https://www.google.co.jp/search?q=荒海障子 Google_Search] *[http://ci.nii.ac.jp/search?q=荒海障子 CiNii論文検索] *[http://ci.nii.ac.jp/books/search?advanced=false&l=ja&q=荒海障子 CiNii図書検索] ===解説=== ===画題辞典=== 清涼殿丑寅の隅、北のへだてなる布障子を荒海の障子という。足長が、手長がなど、見るも恐ろしげなる荒海人を画けるものなり。 (『画題辞典』斎藤隆三) [[category:画題|あ]] ===東洋画題綜覧=== [[清涼殿]]の萩の戸の前なる弘廂の九間の所に立てた布障子である。手長足長を描く。 北妻布障子即荒海障子とみえたり、表に手長足長の絵ある故に名づく、北裏に宇治川の網代をかけて水魚をとらんとする絵をかきたり、枕草子に清涼殿のうしとらのすみの北のへだてなる御さうじには、あらうみのかたいきたるものどもの、おそろしげなる手長、あしながをぞかゝれたる上の御局の戸おしあけたれば、常に見ゆるを悪みなどすとあり。 (大内裏図考証) 弘廂板九枚、北有荒海障子南方手長足長、北面障子宇治網代墨絵也。 (禁秘抄) [[嵯峨天皇]]の弘仁九年四月の条に『弘仁中被施画図』と見え、『著聞集』には一条天皇以来のものと記されてゐる。 (『東洋画題綜覧』金井紫雲) [[category:画題|あ]]
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