若紫

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わかむらさき


画題

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解説

画題辞典

源氏物語の一巻なり、藤壺の后の姪にて、兵部卿の官の娘に紫の上といふがあり、幼くして母に後れ、北山なる祖母がもとにあり、然るに源氏十七歳の時瘧の病にかゝり、北山の信都の之をよくおとす法力ありと聞きて到りたるに、折からかの紫の上の祀母君も悩あり、加持いのりせんと紫の上件ひく是れへ来り、遂に源氏と初めて相見るなり、時に三月の晦口なり、己にして九月とぃふに、その祖母君果てしかば、源氏は十歳なる紫の上を引き取り二條の院西の第に置かるゝとなり、時に十月となす、その時源氏の歌に

手につみていつしかも見ん紫の 根にかよひける野邊の若草

之を若紫の巻の趣向となす、之を画けるもの源氏絵の一節となれる外に、土佐光国の筆に成るもの東京帝室博物館にあり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

源氏物語』五十四帖の一、光源氏の君の十八歳の三月から、冬までの事を記してある、源氏の君瘧病をわづらひ北山の僧都之を落す法力ありと聞き、治療に赴くと、その北山には兵部卿の宮の姫、紫の上が祖母の家に居た折柄その祀母も病の為め加持祈しやうと、紫の上を伴つて来たので遂に源氏と初めて逢ふ、それは弥生の三月であつた、その秋九月といふに祖母も果てたので、僅か十歳の紫の上を源氏が引取り、二条の院西の第に入れることゝなつた、巻の名は『手に摘みて』の和歌からである。

私の夕は、まして心のいとまなくのみ、思しみだるゝ人の御あたりに、心をかけて、あながちゆかりも尋ねまほしき心も増り給ふなるべし、消えん空なきありし夕、思し出でられて、恋しくもまた見劣りやせんとさすがにあやうし。

手につみていつしかも見む紫のねにかよひける野辺のわか草  若紫を画いた作

土佐光起筆            藤田男爵家旧蔵

土佐一得筆            東京帝室博物館蔵

土佐光国筆            同上

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)