能の歴史

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動
印刷用ページはサポート対象外です。表示エラーが発生する可能性があります。ブラウザのブックマークを更新し、印刷にはブラウザの印刷機能を使用してください。

のう --

総合


歴史

現在の我々が、文献資料から(のう)と認識しうる芸能の過去の輪郭をとらえることがある程度可能なのは、日本の中世、鎌倉時代以降の能についてである。もしそれ以前から能と呼びうる芸能があったとしても、せいぜい平安時代中期以降であって、それより前にさかのぼることはないものと推測される。今は、従来の研究を総覧することにより、能を、中世の関西地方において独自の発達を遂げた芸能と見ておきたい。それ以前の、その萌芽に当たるような芸能などの表象は、原則的には、本コンテンツでは能に含めないこととする。

しかも、能は、《(おきな)》(「式三番(しきさんばん)」「翁猿楽(おきなさるがく)」とも呼ばれる)及び狂言(きょうげん)とは区別される。ここで区別が必要になるのは、能と、《翁》と、狂言とは、歴史的に見ても、それぞれ異なるファクタが取り入れられた芸能であると推測されるからである(ただしこれは、能と《翁》または能と狂言に、共通のファクタがない、あるいは歴史的に接点がなかった、という意味ではない)。

それでは、能とは、歴史的に見てどのようなものであったかを、いくつかの時期に分けて述べていこう。