澪標

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みおつくし


画題

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解説

画題辞典

源氏物語五十四帖の一なり、源氏明石の浦より召還せられて本に復し、權大納言になり玉ひしが、その須磨にありし折.落雷あらんとせしを夢中に住吉の神の御告ありしにより。明石に移り、事なきを得しこと思ひ出で、住吉詣を企つ、然るに明石よりも、明石入道豫ねてより佳吉信仰にてありければ。姫具して舟にて来合はす、源氏この機の邊に近く舟あるを怪しみ尋ねつるに、明石入道の船なりとあり、即ち此舟へ和歌あり。みをつくしこふる心にこゝまでもめぐりあいぬるえにはぶかしな此歌あるにより此巻を澪標とはいふなり、岩崎男爵所蔵に俵屋宗達筆屏風ありc

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

源氏物語』五十四帖中の一、この巻は光源氏の君二十八歳、明石の浦から召還されて本に復し、権大納言となつたが、その須磨にあつた頃、落雷を住吉の神の御告で知り、住居を明石に移し事なきを得たことなど思ひ出て、仕吉詣を思ひ立つ、処が明石の入道も住吉の信仰者なので同じやうに住吉詣を思ひ立ち、姫を具して船で来合す、源氏磯辺の船を見て誰の船ぞと訊ねる、明石入道の船とわかつて一首の和歌を詠ずる。その一節

神の御しるべ思し出づるも愚ならねば、聊なる御消息をだにして心なぐさめばや、なか/\に思ふらんかしと思す、御社たち給ひて所々に逍遥をつくし給ふ、難波の御祓など殊に七瀬によそほしう仕う奉る、堀江のわたりを御覧じて、今はた同じ難波なると、御心にもあらでうち誦し給へるを、御車のもと近き惟光、うけ給はりやしつらん、さる召しもやと例にならひて、懐に設けたる柄短き筆など、御車留む所にて奉れり、をかしとおぼして畳紙に

澪標恋ふるしるしにこゝまでもめぐり逢ひけるえにはふかしな

とて給へれば、かしこの心しれる下人してやりけり、駒なべてうち過ぎ給ふにも、心のみ動くに露ばかりなれど、いと哀にかたじけなく覚えてうちなきぬ。

此の『澪標』を画いたものでは俵屋宗達筆(岩崎小弥太男蔵)が有名である。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)