渡唐天神
ととうてんじん
画題
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解説
画題辞典
道服を著し一枚の梅花を手にせる支那仙人の如き天神像なり、足利初世より画かるゝ所多し。一説に曰く東福寺開山聖一国師我が回の文神天満天神に勧めて入唐せしめ仏鑑禅師無準禅師に参禅して受衣せしめたるもの是なりと、藤原長親が両聖記に曰く「昔無準和尚徑山に住し玉ひし時北野天満天神ある夜半ばかりに日本の菅丞相と名のりて受衣しましけるよし申伝へたり」皆儒仏一致の思想に出でたるなり。一説に曰く明の詹仲和夢に天満天神を見、雪舟之を画くを初めとす。又一説に曰く、林和靖を誤り伝へたるなりと、文學興隆の時に際し文道の祖神と崇められし所とや、画けるもの極めて多し、古くは雪舟雪村啓書記元信等の図あり、降つては狩野探幽常信等の所画多し。
筆者不明延徳二年賛(岡崎正也氏蔵)、伝土佐光信筆(京都慈照寺蔵)、筆者不明策彦和尚賛(甲斐南松院蔵)、雪舟筆(佐竹侯爵旧蔵)、啓書記筆(同)、狩野元信筆(同)、同(秋元子爵蔵)、狩野季和筆(近衛公爵所蔵)
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
菅公像の一種であるが道服を着し、支那風に描かれてゐる、種々の説があり、両聖記には、『菅公夢中に無準より伝衣して渡唐天神の像のことを記せり』と『唔語』に記してゐる、鈴木忠侯の『一挙博覧』に曰く
渡唐天神の画影の説あり、信用しがたきものなり、是かならず菅神にはあらざるべし、難波津にさくや此花冬ごもり今を春べとさくや此花と詠ぜし百済の王仁の像なるべしと或人いへり。
併しながらこれを図せられたもの極めて多い。
兆殿司筆 島津公爵家旧蔵
狩野元信筆 同
雪舟筆 佐竹侯爵家旧蔵
啓書記筆 同
筆者不明 中川子爵家旧蔵
季頼筆 近衛公爵家蔵
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)
かんこう「菅公」の項を見よ
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)