巨勢麻呂

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こせの まろ


画題

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解説

前賢故実

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慶雲年間の民部卿、和銅初年の左大辨。公平な態度で官職を勤めていたため、正四位下を授けられた。陸奥、越後の蝦夷が我が国の辺境を侵したとき、天皇は遠江、駿河等七国の兵を招集し、巨勢麻呂を陸奥鎮東将軍に任じ、節刀を下賜した。なお、佐伯石湯が征越後蝦夷将軍に、紀諸人が副将軍に任じられた。陸奥国、越後国の蝦夷の乱は無事に平定された。巨勢麻呂は和銅六年に從三位に昇進した。霊亀元年に中納言に任ぜられたとき、巨勢麻呂は「出羽国を創設してから数年が経った。肥沃な土地と広大な田畑や野原があるにも関らず、人民が非常に少ない。原住民が未だに朝廷の統治に慣れていない。出羽周辺の国から人民を出羽へ移住させて、原住民の教化及び地域の生産物を確保することができる。」と奏上した。朝廷は巨勢麻呂の献策を受入れ、実施させた。養老元年薨去。

(『前賢故実』)