宇治川

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うじがわ


画題

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解説

東洋画題綜覧

琵琶湖の南から出た流れが、近江の瀬田で勢多川となり、跳鹿〈しゝとび〉、米浙〈こめかし〉等の急流で笠置山脈を穿ち、山城盆地に入つて宇治川と呼ばれ、西流して桂川に合し、淀川(淀河)に入る、宇治川に架した宇治橋は孝徳天皇の大化二年、南都元興寺の僧、道登、道昭が勅を奉じて架したもの、橋の東の袂に放生院常光寺があつて、有名な宇治の断碑がある、此の橋兵乱にあひ、洪水に流れ、幾変遷を経て今日に至る、欄千には唐銅の擬宝珠廿二基を用ゐてある、橋に近い浮島には、有名な十三重の石塔がある、これは昔、宇治の網代といつて網代をかけて氷魚や、鮎を漁つたのを弘安七年興正菩薩叡尊の奏請によつて停止し、その漁夫等には布晒しの業を教へ、こゝに供養の為め石塔を立てたと伝へられる、高さ五丈八尺といふ、宇治川の一名所である。

あさぼらけ宇治の川霧たえ/"\にあらはれわたる瀬々の網代木  権中納言定頼

くれてゆく春の湊はしらねども霞にかへる宇治のしば舟      寂蓮法師

宇治川を画いた作、極めて多い。

青木木米筆  『菟道朝潡』   中野忠太郎氏蔵

冷泉為恭筆  『宇治川図』   高山寺蔵

富田渓仙筆  『宇治川の巻』  第二回院展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)