和布刈

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めかり


画題

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解説

画題辞典

和布刈は海中の和布刈ることにして、門司關早鞆明神には、毎年十二月晦日、深更に社人寶劒を胸に當てゝ海底に沈み、一鎌刈りて歸る神事あり、謡曲「和布刈」には此故事を叙せり、緒方光琳の画く所あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

和布刈の神事は、豊前国門司の早鞆明神で毎年十二月晦日夜に行はるゝもの、此夜は潮の干るを待つて神主、宮前の海際の石階を五百段降りて底の和布を刈る、同時に長門国一の宮の神主も松明を執つて北から同じく五百段を下りて和布を刈り相対ひ丑の時の下りに南北に去る、其の刈つた和布を各社の元日の朝饌に供へる、今長門一の宮神社では陰暦十二月晦日にこの神事を行ふ。  (大言海)

当社は竜神の属にして神功皇后三韓退治の時、干珠満珠を持来りて船を守護し玉ふなり、その頃皇后孕ませ給ふなれば、軍の中に降誕あらばいかゞならんとわづらはせ給ふに此の神、和布を献じすゝめ給ふに三とせを経て征伐し給ひ帰朝の時、筑紫の箱崎にて御降誕ありける、応神天皇是なり。  (諸国里人談)

謡曲に此の『神事』を作つた『和布刈』がある、末段の一節を引く。

「神主松明ふり立てゝ、「神主松明ふりたてゝ、御鎌を持つて岩間を伝ひ、つたひ下つて半町ばかりの、海底の和布を刈り帰り給ヘば、程なく跡に汐さし満ちてもとの如く荒海となつて、波白妙のわたづみ和田の原、天を浸し雲の波、煙の波風海上にをさまれば、蛇体は、竜宮に飛んでぞ入りにける。

これが神事を図したるものに尾形光琳の作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)