僧璨

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そうさん


画題

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解説

東洋画題綜覧

支那隋代の禅僧で、徐州の人と伝へらる、北斉天保二年、年四十余で洛陽の少林寺に往き、慧可に就いて剃髪し、其年三月光福寺に受具し、慧可に侍すること二年、具に其法を伝へ、舒州の皖公山に隠棲した、北周武帝建徳三年の廃教に遇ひ、太湖県の司空山に往来し居所を定めぬこと十余年.隋仁寿の末年、道信に法を伝へ、羅浮山に往き、ここに住すること二年、また皖公山に還り、月余にして士民の大法会に臨み、大樹の下に立ち、合掌して入寂した、年実に九十余、時は隋大業二年十月十五日であつた、唐玄宗皇帝は鑑智禅師の諡号を追贈した。その著に信心銘一篇がある、僧璨は曽て風疾を患ひ頭髪悉く赤いので、徐州の人曽て赤頭璨と呼んだといふ。禅の第三祖である。

僧璨を画いた作

明兆筆 達磨慧可三幅対  京都孤蓬庵蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)