三輪

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みわ


画題

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解説

画題辞典

一三輪は大和国磯城郡にある地にして、三輪社にて知らる、大已貴神を祀る所にして一に大神といふ、社は三輪山の西面に鎮座す、三輪の明神の苧玉巻の絲の故事にて人に知らる、旧事本紀に曰く、大已貴神天の羽車に駕し虚空を飛び、竊に節渡縣に上り大陶祗の女活依玉姫に通し、姫遂に孕む、姫の父母その人の何人なるやを知らんと欲し、針を苧王巻につけて來れる人の裳に結び、朝旦之に随ひ尋ね行きて、節渡山より三諸山に留まるを知る、而して其綰ぬる絲の残るもの尚三巻あり、故に三輸と名づくといふ、この故事画材として用ゐらるゝこと少しとせず二謡曲に「三輪」あり、以上の如き三輪社の縁起を叙したり。三三輸の茶屋は院本梅川忠兵衛の道行に「奈良の宿屋や三輪の茶屋、十日餘りに五十両、遣ひ果たして三分残る」の話によりて名高し、四又院本「妹背山婦女庭訓」の女主人公に妬女お三輪あり、契れる男の住居を求むるに苧王巻の絲を手繰りてしるべとなす、亦三輪社の縁起より趣向したものなり、芝居絵として屢々画かるゝ所なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

三輪は大和国磯城郡にある、官幣大社大神神社があり、三輪明神とて名高く、その苧環の故事は、『旧事記』によつて伝へられてゐる。

大巳貴神、天の羽車に駕し虚空を飛びてあまねく妾を求む、時に節渡県に下りひそかに大陶祇のむすめ活依玉姫に通ず、其往来人の知る処に非ず、其女孕めり、父母あやしんで問うて曰く、誰人が来れるぞ、女答へて曰く神人あり屋上より来りて共に枕をならぶと、是に於て之を顕はし見んと欲し、針を苧玉巻に着けて神人の装に懸け、其糸を認めて之を見る、明旦往くに従ひて尋ね見れば鑰の孔より節渡山を経て吉野山に入り三輪山に留まる、其綰ぬる糸三丸なほ遺れり、故に号けて三輪山といふ。

境内昔は『しるしの杉』があつた、『古今集』に

我が庵は三輪の山もと恋しくばとぶらひ来ませ杉立てる門

と此を骨子にして作つたものに謡曲『三輪』がある、玄賓僧都が三輪の山陰に庵を結んでゐると、三輪明神が里の女となつて僧都を訪れ来り、別れに臨んで衣を貸しやると、それが二本杉にかゝつて居る、後、明神の姿を現はし給うて神楽を奏し三輪の社の縁起を語ることになつてゐる。一節を引く

「如何に上人に申すべき事の候ふ、秋も夜寒になり候へば、御衣を一重賜はり候へ、「易き間の事、此衣を参らせ候ふべし、「あら有り難や候ふ、さらば御暇申し候はん、「暫く扨々御身は何処に住む人ぞ、「妾が住家は三輪の里、山本近き所なり、其上我庵は三輪の山本恋しくばとは読みたれども、何しに我をば訪ひ給ふべき、なほも不審に思し召さば、とむらひきませ「杉立てる、門をしるしにて尋ね給へと云ひ捨てゝかき消す如くに失せにけり。

此の故事を骨子として綴つたものに、なほ戯曲『妹背山女庭訓』があり、その主人公もお三輪と名付けられてゐる。

三輪を画いたものとして、印の杉は曽て下村観山が画いたことがあり、妹背山のお三輪は、劇画として亦浄瑠璃人形の型を画いたものが往々ある。苧環の故事を描いたものには松岡映丘の作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)