末の松山
すえのまつやま
画題
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解説
東洋画題綜覧
陸奥の歌枕に用ひる語であるが、古い伝説がある、昔し男、女に逢つて末の松山を指し彼の山に浪の越えなん時ぞ、心変りはするものと、それから末の松山の波越すとは、異なる振舞をする時に歌はれるやうになつた、その末の松山は今陸前の国宮城郡多賀城村の南、八幡の地にある高邱、青松が茂つてゐると。 (大言海)
君をおきてあだし心を我が持たば末の松山波も越えなむ (古今集)
浦近く降り来る雪は白波の末の松山越すかとぞ見る (同)
此を山水画に画くものもあり、伝説を扱つて画いたものもある、古く、池田侯爵家に狩野常信の作があり、近く第十一回帝展に太田秋民の作がある。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)