菊池武時
きくち たけとき
画題
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解説
前賢故実
(『前賢故実』)
東洋画題綜覧
南朝の忠臣、通称二郎、剃髪して寂阿といふ、隆盛の二男で、元弘三年、後醍醐天皇隠岐を脱れ出でさせ給ひ伯耆国船上山に幸するや、武時は少弐貞経、大友貞宗と勤王のことを謀り密に使を遣はして、これを行在所に奏す、天皇嘉賞し錦旗を賜うて其義を励まし給ふ、時に鎮西探題北条英時博多に在つて其の謀を聞き、武時を召す、武時事の洩れたことを覚り、貞経貞宗と牒合せて兵を挙げんとしたが、貞宗は大勢を顧望して未だ答へず、貞宗も京師の王師敗るゝを聞いて疑懼して安せず、遂に武時の使者を斬り、その首を英時に送つた、武時憤然として手兵百五十人を率ひて英時を博多に囲む、英時の兵多く死し遂に自尽せんとした処、貞経貞宗来つて英時を援けたので武時は形勢の不利を察し、長子武重に兵五千を分ち本国に帰つて再挙を図らしめ、自ら余兵を督して奮戦陣頭に仆る、時に年四十二、歴史画として画かる。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)