橘広相
たちばなの ひろみ
画題
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解説
前賢故実
左大臣諸兄の五世孫、峯範の子。広相は幼い頃より聡明で詩文に長けていた。九歳のとき、昇殿を特別に許され、「荒村桃李猶応愛(荒涼とした村でも桃李の花が愛されている) 何況瓊林華苑春(美しい御苑の春はなおさらだ)」という詩を詠んだ。宇多天皇が即位した際、正四位上を叙せられた。左大辨および近江守にまで昇進。寛平二年卒、享年五十四歳。侍読の功労により中納言、從三位を追贈され、弔慰の品として絹布を贈られた。広相は三代の朝廷に仕え、帝の近侍として宮中のいろいろな事を管理していた。かつては菅原是善が高雄山の鐘の銘を作成、広相が銘の序を書き、藤原敏行が銘と序を書写したことがあり、これを世間では三絶と呼ばれている。
(『前賢故実』)