坂上浄野
さかのうえの きよの
画題
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解説
前賢故実
田村麻呂の四男。若くして家風を受継ぎ、素晴らしい武芸を身につけていた。平城天皇が武徳殿において天下の騎射に勝れた二十人を選出したとき、東宮少進を務めているわずか十八歳の浄野はその中の一人であった。弘仁中、陸奥鎮守将軍に昇進した。在任中の数年間は、蝦夷との和親が保たれ、辺境の要衝が無事であった。京へ戻されてから、右馬頭、右兵衛督、因幡守を歴任。官位は正四位下にまで。嘉祥三年卒、享年六十二歳。
(『前賢故実』)
さかのうえの きよの
田村麻呂の四男。若くして家風を受継ぎ、素晴らしい武芸を身につけていた。平城天皇が武徳殿において天下の騎射に勝れた二十人を選出したとき、東宮少進を務めているわずか十八歳の浄野はその中の一人であった。弘仁中、陸奥鎮守将軍に昇進した。在任中の数年間は、蝦夷との和親が保たれ、辺境の要衝が無事であった。京へ戻されてから、右馬頭、右兵衛督、因幡守を歴任。官位は正四位下にまで。嘉祥三年卒、享年六十二歳。
(『前賢故実』)