小野岑守
おのの みねもり
画題
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解説
前賢故実
妹子の玄孫。陸奥介永見の三男。從四位上、勘解由使兼刑部卿を務めていた。嵯峨天皇が皇太子であったとき、岑守は菅原清公等とともに侍講として皇太子に仕えていた。また、中納言良岑安世、中務大輔朝野鹿取等とともに内裏式を編纂した。後に太宰大貳に任命された。太宰府が遙かに遠いため、そこへ行く人は、途中で野宿して病死したことが多かった。岑守は続命院を建て、旅人の救済をしていた。弘仁十四年、民の困窮を理由に帝に上奏して、民の税金と徭役の軽減を懇願した。天長七年卒、享年五十三歳。
留別文友(文友に留別す)
一朝從吏十年許(官職に就いてから、あれこれ十余年になり) 文友存亡半是新(文友たちが生死に関らず半分ほど新しい友だ) 固為同道無新旧(もともと同じような道を歩んできた友だから新旧の区別がなく) 但悲我作万里人(みんなが地方へ赴任するわたくしとの離別を悲しんでいる)
(『前賢故実』)