大伴駿河麻呂
おおともの するがまろ
画題
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解説
前賢故実
宝亀四年、陸奥鎮守府将軍按察使を務めていた。時に蝦夷が国境を侵し、橋を焼払い、桃生城を包囲攻撃、この城の西郭を破った。守兵たちがほとんど持ちこたえられないとき、駿河麻呂は援軍を率いて駆けつけた。駿河麻呂は賊を破り、遠山村まで追撃した。遠山村は断崖絶壁の要塞であるため、蝦夷がこれを頼みとして、大和の諸将に負けたことがなかった。しかし、駿河麻呂はこの要塞を一掃し勝利を納めた。朝廷は駿河麻呂の功を誉め称え、慰労として装束、錦、帛などを賜った。当時の鎮守府に漏刻がなかったので、駿河麻呂はまず漏刻を設置するようと奏請した。その後、駿河麻呂は参議に任ぜられ、正四位上、勲三等に叙せられた。宝亀七年七月卒、從三位を贈られた。
霞立つ 春日の里の 梅の花 花に問はむと 我が思はなくに
(『前賢故実』)