大中臣清麻呂
おおなかとみの きよまろ
画題
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解説
前賢故実
元の姓は中臣。神護元年清麻呂が大嘗祭で神祇伯を務めた際、称徳天皇が「神祇伯中臣清麻呂は、心がその名のように清く、勤勉で慎み深い。長い間神祇を奉る職務に励んできた。清麻呂に褒賞を与えよう。」という詔を下した。そして、清麻呂は從三位を授けられ、中納言に叙せられ、神祇伯を再任し、大中臣という姓を賜った。その後、清麻呂は大納言東宮傅、右大臣從二位を歴任、さらに自宅で帝の臨御を仰ぎ、正二位を授けられた。年を取った清麻呂は、老衰を理由に辞職の表を奏上したが、帝は清麻呂を誉め称えて辞職を許さなかった。清麻呂は再び奏請し、遂に帝のお許しを得ることができて、机と杖を賜った。数代の朝廷で要職を務めた清麻呂は、朝廷の儀式や国典については熟知していた。延暦七年薨去、享年八十七歳。
天雲に 雁ぞ鳴くなる 高円の 萩の下葉は もみちあへむかも
(『前賢故実』)