大伴狭手彦
おおともの さでひこ
画題
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解説
前賢故実
宣化天皇二年、新羅が任那を侵犯したため、帝は挟手彦の父金村に新羅征伐の命令を下した。金村は挟手彦とその兄磐を遣わして任那での戦いを援けようとした。磐は三韓の動きに備えて筑紫に留まり国を司る。挟手彦は任那へ行き百済をも助けることになった。軍艦が肥前から出発する前、挟手彦の妾佐用嬪が別れを惜しんで、高い山に登り挟手彦の船を眺め、悲しみのあまり、首からスカーフを脱ぎ船に向かって差し招いた。これを見た人々はみんな涙を流した。欽明天皇二十三年、挟手彦は大将軍になり、数万人の兵士を率いて高麗征伐へ行った。連戦連勝で高麗の都に到達し、高麗の王様が困り果てて壁を乗り越えて逃げた。
三島王の後に追ひて和(なぞら)へたまへる松浦佐用嬪面の歌一首
音に聞き 目にはいまだ見ず 佐用嬪が 領巾振りきとふ 君松浦山
(『前賢故実』)