藤房卿
ふじふさきょう
画題
画像(Open)
解説
画題辞典
藤原藤房卿は建武の忠臣なり、権大納言宜房の長子、後醍醐天皇に仕へて、正二位中納言となる、元弘元年天皇北条氏討滅の謀洩れて関東の軍禁闕を犯さんとするや、藤房弟季房等と共に窃に天皇に奉するに女装を以てせしめ、陽明門より奈良に逃れ、笠置に至り行宮を建つ、尋いで賊兵來襲火を放たるゝに及び、諸王公卿道に迷うて相失ず、藤房獨り藤原師賢源具行と帝を扶け、晝伏し夜行きて有王山に至る。遂に追跡せられて天皇六波羅に御す、藤房等常陸に流さる、三年高時誅に伏し、建武中興の大業成り藤房歸り事を掌る、時に百弊早くも内に萌し、内謁盛に行はる、藤房病と稱して朝せず、會々鹽谷高貞千里の馬を献ずるに及び、藤房進言して千里の馬は平世の用にあらず、天馬の出づる是れ乱兆なりと、大に時弊を痛諫す、聴かれず、遂に朝を去り、北山岩倉に入りて僧となる、終る所を知らす。
筆者不明画像(京都北岩倉一条坊所蔵)
土佐光信筆(末松子爵所蔵)
狩野常信筆楠公二幅對(備前前田侯爵所蔵)
(『画題辞典』斎藤隆三)