大鑑禅師
たいかんぜんし
画題
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解説
画題辞典
大鑑禅師、名は正澄、字は清拙、元の福州の人、十五歳にして出家し、我嘉暦元年に来朝し、北条高時に請せられて鎌倉に入る、尋いで後醍醐天皇に召されて元弘三年京都に上り、建仁寺に入り、更に南禅寺に移る、後信濃に往き復京に帰り、暦応二年正月寂す、壽六十六、大鑑禅師の勅謚を賜はる、
福岡聖福寺に画像あり、国宝なり。
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
大鑑禅師、名は正澄、号は清拙、元の福州連江邑劉氏の子、年十五にして落髪し遊方して、遍く諸老に参謁し契悟した。嘉暦二年我が国の招請を受けて来朝す、北条高時請じて建長寺に住せしめた。元徳二年浄智寺に、又、元弘元年に円覚寺に住した。三年、後醍醐天皇勅して建仁寺に住せしめ更に南禅寺を主らしめた。足利尊氏、直義之に師事す、信濃の太守小笠原貞宗、開善寺を本州の伊賀良に刱めて開山第一世としたが暦応二年正月十七日入寂す、年六十六。大鑑禅師の勅諡を賜ふ。 (日本高僧伝)
大鑑禅師の画像は、福岡聖福寺にあつて国宝に指定されてゐる外、京都聴松院にも一幅を蔵してゐる。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)