素性法師
そせいほうし
画題
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解説
画題辞典
素性法師は王朝の歌人にして三十六歌仙の一人なり、俗姓良峰、俗名玄利。清和天皇の朝に仕へ左近将監たりしが、兄と共に出家す、雲林院及石上の良因院に住し権律師となる、延喜六年襲芳舍の御屏風を始め献詠の和歌多し、
東京帝室博物館に筆者不明室町時代の画像あり。
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
歌人、姓は良峰、朝臣、左近衛少将宗貞の子、俗名を玄利と云ふ、清和天皇に仕へ左近衛将監に任ぜられたが、父の勧によつて兄と共に出家し雲林院及び石上の良因院に住した。寛平八年閏八月宇多天皇雲林院に行幸し大納言源朝臣をして勅を奉じて宣せしめ、素性大法師を権律師となし弘延、素性両法師に度、各一人を賜つた、昌泰元年宮滝遊覧の時、朝臣を改めて良因朝臣と賜ふ、蓋し住所の名に拠つたわけである。延喜六年二月二十六日召されて御屏風を書し同九月十二日また召され御前で御屏風に書し左近衛中将源定方をして酒を給ふ、歿年未詳。その作に秀逸少からず二三を挙げる。
今こむといひしばかりに長月の有明の月を待ちいづるかな
そこひなき淵やはさわぐ山川のあさき瀬にこそあだ浪はたて
素性法師を画いた作。
岩佐又兵衛筆 川越東照宮蔵
筆者未詳 東京帝室博物館蔵
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)