覚鑁上人
かくばんじょうにん
画題
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解説
画題辞典
覚鑁上人は新義真言宗の開祖、肥前の人、仁和寺成就院の寛助に就いて出家し後高野山に上り明寂に師事す。大治五年高野山に伝法院を建て、天承元年又大伝法院を起す、高野の衆徒と協はずし根来に下る。次いで諸流の奥義を究め、鳥羽の宝蔵に弘法大師の遺書を閲し事相を大成す。康治元年四十九歳にて示寂す、元禄三年興教大師と謚す。
画像長谷寺什物にあり。
(『画題辞典』斎藤隆三)
かくばんじょうにん
覚鑁上人は新義真言宗の開祖、肥前の人、仁和寺成就院の寛助に就いて出家し後高野山に上り明寂に師事す。大治五年高野山に伝法院を建て、天承元年又大伝法院を起す、高野の衆徒と協はずし根来に下る。次いで諸流の奥義を究め、鳥羽の宝蔵に弘法大師の遺書を閲し事相を大成す。康治元年四十九歳にて示寂す、元禄三年興教大師と謚す。
画像長谷寺什物にあり。
(『画題辞典』斎藤隆三)