菊池武光
きくち たけみつ
画題
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解説
前賢故実
(『前賢故実』)
東洋画題綜覧
南朝の忠臣、武時の第八子で初め豊田十郎と称したが、後、家を継いで菊池に改め肥後守となる、是より先、後醍醐天皇、皇子懐良親王を以て征西将軍と為し、筑紫を鎮ぜしむ、武光、親王を肥後に迎へて之を奉じ、大友氏時、少弐頼尚と連歳兵を構へ、屡々之に克つ、正平十三年一色直氏及び其弟範氏を筑前に撃つて之を走らす、茲に於て名声大に揚り、九州の諸豪族来り属するもの極めて多く威勢愈々四隣に奮ひ、尋で兵五千を率ひて畠山国久を日向国六笠城に撃ち、また国久の子重隆を三股城に攻めて之を走らす、十四年懐良親王を奉じ頼尚と筑後川に戦つて大に之を破つた、翌年また親王と共に進んで博多に陣し兵を分ち松浦党を香稚に撃つて之を走らせた、文中二年十月卒す。 (国史大辞典)
ちくごがわかっせん「筑後川合戦」参照。
菊池武光を画いたものに左の作がある。
小山栄達筆 東京府養正館蔵
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)