狩野光信

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かのうみつのぶ。

1565(or 1561)-1608

幼名:四郎次郎。のち右京進。狩野永徳の長男。 天正18年、父永徳没後、狩野一門を統率する。 宮廷との関係が深く、慶長3年頃禁裏の屏風を制作。秀吉没後は、徳川家の御用絵師となる。 慶長11年江戸へ進出し、幕府の絵画制作に関った。 慶長13年(1608)京都への帰途、6月4日に桑名で病死。44才とも48才ともいう。