黄竜禅師
おうりゅうぜんじ
画題
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解説
東洋画題綜覧
黄竜禅師は臨済宗黄竜派の宗祖、名は慧南、玉山の人、姓は章氏、十一歳で出家し十九歳で授戒し三角の懐証に参し遂に印証を得た、四方を遊歴する中、南昌の文悦と交る、文悦慧南を評して曰く『有望の器惜むらく未だ真の鉗鎚を受けず、真に之を究めやうとならば慈明に就け』と、慧南怒つて枕を文悦に投付け発足し、衝嶽に登り福巌の賢叉手の書記となつた、処が賢叉手俄に歿し、慈明が之を継いだ、これより慈明に就て大に啓発され遂に立旨を得るに至つた。
傑出叢林是趙州、老婆勘破没来由、而今四海清如鏡、行人莫以路為難。
の喝を頌して辞し、後廬山の帰宗寺に住し寧州の黄竜寺に移つた、熙寧二年寂す、年六十八。
黄竜禅師を画いたもの、啓書記の作が川崎男爵家旧蔵にある、鳥窠禅師と対幅になつてゐる。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)