金谷園
きんこくえん
画題
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解説
画題辞典
金谷園は晋の石崇が奢侈を極めて築きたる別業にして、河陽の金谷に在り、所謂緑珠墜楼の処なり。崇曽つて客を此処に会し各々詩を賦す、成らざれば罰酒三斗を科すという之を図せるもの。
京都知恩院所蔵仇英作る所国宝として世に知られ、爾後狩野派又は南画家の好んで画く所なりとす、野口幽谷の作は第四回内国勧業博覧会の出品なり。
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
大明一銃志にいふ、『河南府金谷園は、府城の西一十三里に在り、地に金水あり、太白原より南流し此谷を経、晋の石崇川阜に因て園館を造り、自ら詩序を作る』と、石崇此の園を営んで亭館、宏麗を極め、水陸の珍味を集めて宴を張る、その王詡繙岳が輩、二十四人の盛宴の状、載せて『古文真宝』にある。
金谷園 無名氏
当時歌舞地、不説草離離、今日歌舞尽、満園秋露垂。
これを描いたものに左の作がある。
仇英筆 (国宝) 京都知恩院蔵
野口幽谷筆 第四回内国勧業博出品
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)