恩賜御衣
おんしのごい
画題
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解説
画題辞典
菅原道真の讒に会うて筑前大宰府に下り、此に謫居するや門を閉じて出でず、謹慎日を送り、文墨に託して僅に自ら遣る、一夜往事を追懐し君恩の厚きを思うて一詩を賦す、曰く「去年今夜侍清涼 秋思詩篇独断腸 恩賜御衣今在此 捧持毎日拝余香」之を画くもの、近く菊池容斎、松本楓湖、下村観山、小堀鞆音の作あり、尚「菅公」の条参照すべし。
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
菅公配所にあつて、恩賜の御衣に天恩を偲び一詠を賦す、恩賜御衣として有名な逸事である。
菅丞相、昌泰三年九月十日宴に正三位の右大臣の大将にて、内に候はせ給ひけるに
君富春秋臣漸老、恩無涯岸報猶遅
と作らせ給ひければ、叡感のあまりに御衣をぬぎてかづけさせ給ひしを、同四年二月に本院の大臣の奏事不実によつて、俄に太宰権帥に遷され給ひしかば、いかばかり世もうらめしく御憤も深かりけれども猶君臣の礼は忘れがたく、魚水の節も忍び得ずや思し召され給ひけむ都のかたみとて、かの御衣を御身にそへられたりけり、さて次の年の同日、かくぞ詠ぜさせたまひける。
去年今夜侍清涼、秋思詩篇独断腸、恩賜御衣今在此、捧持毎日拝余香。
後江相公の証明におくれて後、後世をとぶらはれける願文に
悲之又悲、莫悲於老後子、恨而更恨、莫恨於少先親。
とかけるこそ前後相違のうらみ、実にさこそはとさり難くあはれにおぼゆれ。 (古今著聞集)
これを画ける作
吉田秋光筆 東京府養正館蔵
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)