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出典:日本人名大辞典

河津祐泰(かわづ‐すけやす)1145‐1176

平安時代後期の武将。

久安元年生まれ。伊東祐親(すけちか)の長男。曾我(そが)兄弟(祐成(すけなり)・時致(ときむね))の父。伊豆(いず)河津(静岡県)の領主。伊東郷をめぐる父祐親と工藤祐経(すけつね)の所領争いがもとで,安元2年10月祐経の家来八幡(やわた)三郎,大見小藤太(おおみ‐ことうだ)に射殺された。32歳。通称は三郎。