百済河成

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くだらの かわなり


画題

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解説

前賢故実

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元の姓は余復という。武芸に長け、強い弓を引けるだけでなく、絵画にも秀でた。河成が描いた古人像は、顔色が艶々として生きているように見えるし、山水や草木を描いた絵も優れている。ある日、河成が帝の側で仕えているところ、帝が宮人を呼んできて河成に宮人を描かせようとしたが、描写されることを恥ずかしく感じた宮人は面をあげなかった。だが、河成は筆と紙を取ってきて、宮人の身体をそっくりのまま紙に写した。その絵を見た人々はみな迫真な描写に感嘆の声をあげた。当時の画家たちが揃って河成の描き方を真似していた。天長十年、外從五位下を授けられた。備中介、播磨介にまで累進、仁寿三年卒、享年七十二歳。

(『前賢故実』)