秦河勝

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はたの かわかつ


画題

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解説

前賢故実

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山城葛野郡の人。推古天皇十一年、聖徳太子が仏像を尊崇しているので、群臣にも仏像を拝むようと命じようとした。河勝は自ら聖徳太子を手本に蜂岡寺を建てて仏像を安置した。皇極天皇三年、東国の不尽河のあたりに大生部多という者がいて、奇異な蟲を育てて「これは常世の国からきた神だ。」と郷民を欺き、大生部多に仕える祈祷師が神のお告げとして「神を祭ると、貧しい人は富を得、老人は若返る」といった。このために人々は、財宝を差し出したり、職業を捨てたりして蟲の神を拝んでいた。河勝は、人々を惑わす大生部多を憎み、大生部多を捕えて鞭でたたき懲らしめた。大生部多に仕えていた祈祷師たちは、怖くなり悪事を止めた。時の人は歌を作って河勝のことを讃えた。

河勝が大生部多を鞭で打つことについて、時の人は歌を詠んだ。

うづまさは かみともかみと きこえくる とこよのかみを うちきたますも

(『前賢故実』)