調伊企儺

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つきの いきな


画題

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解説

前賢故実

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気性がいさましくて激しい。欽明天皇の時代、新羅が背いたので、帝は紀男麻呂を将、伊企儺を副将として新羅征伐の師をおこした。官軍が不利に陥って、伊企儺は新羅の虜となった。新羅の人はいろいろな方法で伊企儺を寝返させようとしたが、何れも失敗した。そして、新羅の人が刀を抜いて、「汝が、やまとの将、我がしりをくらえと言ってくれたら、活かしてあげる。でなければ汝を殺す。」と伊企儺を脅かした。伊企儺は「新羅の王、我がしりをくらえ」と大声で叫んだため、屈せずに殺された。伊企儺の息子は父の屍を抱いて死んだ。伊企儺の妻大葉子は虜であったとき、歌を詠んで二人の死を悼み悲しんだ。聞く者はみな涙を流した。朝廷は、伊企儺親子の忠孝を讃えて、その三族の課役を永遠に免除することにした。

伊企儺の妻大葉子並に禽せらる。愴然みて歌して曰く

からくにの きのへにたちて おほばこは ひれふらすも やまとへむきて

(『前賢故実』)