打毬

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だきう


画題

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解説

画題辞典

打毬は一種の競技にして紅白の毬を競技場に投じ置き、紅白二組の人数にて長柄の叉手にて各自その毬を拾ひ、毬門に投じて勝敗を争ふものなり、もと支那伝来のものなりとのことにて、本朝にては奈良朝の頃より已に行われたり、足利時代以後に於ては専ら馬術練習の一として之を行ひたり、江戸時代にては家茂将軍の如き特に比技を好まれたりという、東京帝室博物館に室町時代の作になる打毬図あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

打毬は又『まりうち』といふ。もとは木造の杖で『ぶり/\』の如きものを打つて遊んだ行事で、奈良朝時代既に行はれたが、後には数人騎馬で毬を投げ争ふ技となつた。即ち馬場の一端に的とする孔を設け、紅白に分けた若干の毬を場に投げ出し、馬上から長い柄の叉手を用ひて互に我が毬を抄ひ彼の抄ふを妨げ、毬の数ある限り早く抄つて孔に投げ入れ了つた方を勝とする。其最終の毬を上げ毬と云ふ。又あげ玉とも呼ぶ『ぎつちやうあそび』、入れ了つて奉行更に一毬を出して『あげまり』といふ。これを入れるのは敵将の首を獲るに比したものといふ。  (大言海)

これを画いたもの東京帝室博物館に、足利時代の作『打毬図』がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)