「漁父辞」の版間の差分
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2021年12月7日 (火) 19:12時点における最新版
ぎょふのじ
画題
画像(Open)
解説
東洋画題綜覧
漁父辞は屈原の作る処、漁父は蓋し亦隠遁の士、或は曰く亦屈原の詞を設くるのみと、即ち、屈原が我と相手を立てゝ自問自答してゐる義で、別に漁父がゐるわけではない、別項屈原の条を見よ。
漁父辞 屈平
屈原既放、遊於江潭、行吟沢畔、顔色憔忰、形容枯槁、漁父見而問之曰、子非三閭大夫与、何故至於斯、屈原曰、挙世皆濁我独清、衆人皆酔我独醒、是以見放、漁父曰、聖人不疑滞於物、而能与世推移、世人皆濁、何不淈其泥而揚其波、衆人皆酔、何不餔其糟而歠其醨、何故深思高挙自令放為、屈原曰、吾聞之、新沐者必弾冠、新浴者必振衣、安能以身之察々、受物之汶々者乎、寧赴湘流、葬於江魚之腹中、安能以皓皓之白、而蒙世俗之塵埃乎、漁父莞爾而笑、鼓枻而去、乃歌曰、滄浪之水清兮、可以濯吾纓、滄浪之水濁兮、可以濯吾足、遂去不復与言。
此の屈原の『漁父辞』によつて、漁父を画いたもの古来少くないが、左の諸点が聞えてゐる。
渡辺崋山筆 『漁父』 神戸鹿峰氏旧蔵
小室翠雲筆 『濯足万里流』 第十回帝展出品
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)