「五馬」の版間の差分
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2021年12月7日 (火) 19:11時点における最新版
ごば
画題
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解説
東洋画題綜覧
宋の時代、于闐から驥院に上つた五駿馬を李竜眠が画いてから、『五馬図』として聞えてゐる、第一は元祐元年四月進到の錦膊驄八歳四尺六寸、第二は于闐国から進到の鳳頭驄八歳五尺八寸、第三は同二年十二月左天駟盛棟中秦、馬好頭赤九歳四尺六寸、第四は同三年閏月温渓心の進めた昭夜白、第五は以上四馬に比して筆も背も形も変つてゐる、第三図には乾隆帝の左の賛がある。
竜眠手写五馬図、一一驥院之英駿、来自于闐或董氈、事擬天馬登歌韻、即今哈薩及布魯、戯市為常無論万、愛烏窂更遠於波、馬高七尺有八寸、五馬之高不足称、于思索来敬以進、育之天閑聊備☆(日の下に如)、未如上駟調習順、然今老矣遂古稀、那以昔年馨控迅、展図自愧且自憐、石火光陰速誠信。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)
うま「馬」の項を見よ。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)