U0051のソースを表示
←
U0051
ナビゲーションに移動
検索に移動
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
この操作は、以下のグループのいずれかに属する利用者のみが実行できます:
登録利用者
、
ビューロクラット
。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
=総合= 東海道五十三対草津 【翻刻】 草津 延喜八年秀郷勢田の橋を/過るに龍婦女と化して三上山の/百足を亡し給はれと願ふ よつて/秀郷かの蚣を射る すなはち/其恩として龍宮へ伴ひあまたの宝を/おくる 絵師:国芳 版元:松江町海老林 改印:村 [[画像:U0051000.jpg|thumb]] 【画題】 田原藤太の百足退治伝説を画題としていると考えられる。この百足退治伝説は、民間伝承として伝わる他に、太平記、田原藤太物語(作者不明・室町時代成立)に描かれている。また田原(俵)藤太、秀郷とは、ともに藤原秀郷という実在の人物を指している。藤原秀郷は、平安中期の武将で、平将門の乱のとき押領使として下総に出陣、天慶三年将門を討った功で、従四位下野守となる。超人将門を討った勇士として英雄視され多くの伝説を生んだ。 【太平記巻第十五竜宮城鐘の事】 承平の代(931~938)、俵藤太秀郷は、勢多の橋で大蛇を踏んで通り過ぎていくと、身分の低そうな小男(大蛇が化けたもの)が秀郷の前に来て、長い間領地を争う敵の退治を頼む。秀郷が承諾すると、小男は秀郷を竜宮城に連れて行き、酒宴が催される。すっかり夜が更けた頃、比良山の方角から化物が竜宮城に向かって来る。秀郷はこれを射止める。竜神は喜んで、秀郷に巻絹一疋、鎧一領、口を結んだ俵一つ、赤銅の釣り鐘一つを与える。釣り鐘は三井寺に奉納された。 『新編古典文学全集 太平記②』(1996、長谷川端校注・訳、小学館)を参照 【俵藤太物語】 朱雀院のとき、俵藤太秀郷は、勢田の橋で大蛇を踏んで通り過ぎた夜、美女(竜神の化身)の訪問を受け、三上山の百足退治の頼まれる。快諾した藤太は怪物を射止め、刻んで捨てた。翌朝女は、藤太に巻絹、首を結んだ俵、赤銅の銅を与える。さらに竜神に伴い饗応した後、引出物として鎧と太刀、釣鐘を与える。秀郷はその釣鐘を三井寺に寄進する。やがて下総で平将門が反逆を起こす。将門追討の宣旨を受けた秀郷は、下総に下り、折を得て将門を射殺する。上洛した秀郷は、多くの恩情を受けて後々家門繁昌する。これも竜神の応護によるものだった。 『新古典文学大系 室町物語集下』(1992、市古貞次・秋谷治・沢井耐三・田嶋一夫・徳田和夫校注、岩波書店)を参照 【草津宿】 東海道と中山道が合流する地点に位置する。江戸川の宿は東海道では石部宿、中山道では守山宿、京都側では大津宿に継ぎ立てる。南に連なる矢倉からは八橋湊へ至る八橋街道が分岐するなど、交通の要衝であった。 『日本歴史地名大系第二十五巻 滋賀県の地名』(1991、有限会社平凡社地方資料センター編、平凡社)より引用 【画題としての俵藤太】 [[画像:Z0547-1-016.jpg|thumb]] 絵師: 政信 出版年月日:正徳頃 [[画像:Z0382-057.jpg|thumb]] 絵師: 清倍 出版年月日:享保13(1728) 出版地:江戸 上演年月日:享保13(1728) 上演場所: 江戸 ・ 市村 興行名: 浦島太郎七世孫 うらしまたろうしちせのまご 外題: 浦島太郎七世孫 うらしまたろうしちせのまご 太平記巻第十五竜宮城鐘の事に、竜宮城が出てくることから浦島太郎の説話に結び付けられたのか? [[画像:UT04-019.jpg|thumb]] 絵師: 豊国 落款印章: 一陽斎豊国画 版元名: 西村屋 与八 改印: 極 出版年月日:文化01(1804) 出版地: 江戸 画題等: 「見立七福神」「大黒の見立ニ 男之助 白猿」「毘沙門の見立ニ 俵藤太秀郷」 上演年月日:文化01(1804)頃 上演場所: 江戸 [[画像:100-3661.jpg|thumb]] 絵師: 国貞 落款印章: 五湖亭貞景画 改印: 極 出版年月日:文政08(1825) 出版地: 江戸 画題等: 「田原町秀助 実は藤太秀郷 坂東三津五郎」「真乳山 三上山の見立」 上演年月日:文政08(1825) 上演場所: 江戸・ 市村 興行名: 東内裡劇場正月 あずまだいりかぶきのしょうがつ 外題: 東内裡劇場正月 あずまだいりかぶきのしょうがつ [[画像:016-0824.jpg|thumb]] 絵師: 重信 落款印章: 東都 柳川重信 出版年月日:文政05(1822) 出版地: 大坂 画題等: 「大坂新町ねりもの」「俵藤太 東扇屋 雛治太夫」 上演年月日:文政05(1822) 上演場所: 大坂 [[画像:006-0528.jpg|thumb]] [[画像:Z0547-1-236.jpg|thumb]] [[画像:emi21-110.jpg|thumb]] [[画像:212-C001-024.jpg|thumb]] 【考察】 竜神の化身が小男ではなく、女性として描かれていることから、この絵は俵藤太物語を参考にして描かれたとも考えられるが、それにしては年号が符合しない。翻刻した文章には延喜八年(西暦908)、俵藤太物語には朱雀院の御時(西暦930~948)とあり誤差がある。このことから参考にされたのはまた俵藤太物語ではないのだろうか。 また龍女の湖中にまで垂れた長い髪は、龍の長い体を連想させる意図で描かれているようにも思える。龍女の着物の模様も龍の鱗をイメージしているのだろうか。 『原色浮世絵大百科事典 第九巻』(1981、原色浮世絵大百科事典編集委員会編、大修館書店) 【参考文献】 『原色浮世絵大百科事典 第二巻』(1982、原色浮世絵大百科事典編集委員会編、大修館書店) 『原色浮世絵大百科事典 第九巻』(1981、原色浮世絵大百科事典編集委員会編、大修館書店) 『新古典文学大系 室町物語集下』(1992、市古貞次・秋谷治・沢井耐三・田嶋一夫・徳田和夫校注、岩波書店) 『新編古典文学全集 太平記②』(1996、長谷川端校注・訳、小学館) 『日本歴史地名大系第二十五巻 滋賀県の地名』(1991、有限会社平凡社地方資料センター編、平凡社)
U0051
に戻る。
案内メニュー
個人用ツール
ログイン
名前空間
ページ
議論
日本語
表示
閲覧
ソースを閲覧
履歴表示
その他
検索
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWikiについてのヘルプ
ツール
リンク元
関連ページの更新状況
特別ページ
ページ情報