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=総合= 東海道五十三対 '''江尻''' ---- [[画像:012-0501.jpg|thumb]] ==== 【翻刻】 ==== 江尻 三保の浦羽衣松の由来 江尻の東清水の湊より 海浜を廻りて 壱里余三保の洲崎へ至る 駿海一の名所にして 風色世に知る所なり 羽衣松は同所にあり 里言にいふ むかし天人降りて 松に羽衣をぬき置しを 漁夫ひろひ取て返さづ 天女かりに漁夫が妻となり 辛労して 羽衣を取かへし 天に帰りしと言伝ふ 羽衣の松 今猶存せり 絵師:広重 ====【舞台】==== この絵の舞台となっているのは、[[駿河国]]にある[[三保の松原]]である。現在の静岡県静岡市清水区に位置する。 広重の他の作品では、『冨士三十六景 駿河三保之松原』[http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-big.php?shiryo_no=201-2504]や、『六十余州名所図会 駿河三保のまつ原』[http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-big.php?shiryo_no=201-3645]などが挙げられる。 また、江尻を描いた風景画としては、広重の『東海道五十三次 江尻 三保遠望』[http://metro2.tokyo.opac.jp/tml/tpic/imagedata/toritsu/ukiyoe/0C/061-C003a-019.jpg]や、国輝の『末廣五十三次 十九 江尻』[http://metro2.tokyo.opac.jp/tml/tpic/imagedata/toritsu/ukiyoe/0C/061-C001-019.jpg]などがある。 この他にも、「東海道シリーズ」などの名所絵には多数描かれている名勝であることがわかる。 ====【題材】==== 駿河国、江尻にある三保の松原の地に伝わる天女の羽衣説話を題材としている。三保の松原にある松が、羽衣松と呼ばれるようになった謂れを描いているのである。 三保の松原の上空を、雲帯を翻して昇天して行く、[[羽衣]]を着けた天女を主に描かれてる。 ====【羽衣伝説】==== 天女が水浴中に羽衣を盗まれて天に帰れず人妻となって暮すうち、羽衣を探し出して昇天するという伝説。 この絵の題材として考えられている逸文『駿河国風土記』の三保松原の説話や、逸文『丹後国風土記』の奈良社(なぐのやしろ)の説話、『帝王編年記』に収められた伝承・逸文『近江国風土記』の伊香小江(いかごのをうみ)の説話などにあるもののほか、全国に類似のものが多い。また、ヨーロッパ・アジア・アフリカ・オセアニア・北米等々にも広く伝承説話として分布し、世界的にも広がりを見せる説話である。 羽衣説話には、いくつかの型があり、それぞれの説話の型によって内容も様々である。[[画像:061-C002-019.jpg|thumb]] 世界的に広い分布を見せる話の型に「白鳥処女型」がある。これは、異界の乙女が白鳥に化身してこの世に現れる話の内容で、日本では、「天人女房型」とされる。一般に次のように語られる。 ①天女が空から飛翔し、羽衣を脱いで沐浴する。 ②人間の男が羽衣を奪って隠し、天女に結婚を迫り、妻にする。 ③二人の間に子どもが生まれる。 ④天女は子ども(または子守唄など)から羽衣の在り処を知り、これを発見して昇天する。 というものがある。 ―『神話の森:イザナギ・イザナミから羽衣の天女まで』参考 ====【関連作品】==== 羽衣伝説を扱う作品は、数多くある。例えば、謡曲、能、狂言、歌舞伎、舞踊などに羽衣伝説を取り入れた作品がある。なかでも、[[謡曲「羽衣」]]については、三保の松原に伝わる羽衣伝説を主題としていると考えられているので、関連性が強い。浮世絵の作品としては、羽衣を主題とした歌舞伎の上演時の役者絵がある程度である。国貞の『羽衣のせい(実)ハけいせゐ東路 玉三郎改 坂東しうか』[http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-big.php?shiryo_no=002-1196]や、国周・光玉の『新古演劇十種之内 羽衣 天女 尾上菊五郎』[http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-big.php?shiryo_no=101-5201(A)]、豊国・広重の'''『雙筆五十三次 江尻』'''などが挙げられる。 [[画像:天女のはごろも.jpg|thumb]] また、前述したとおり、世界的にも広く分布した説話であるので、外国にも関連作品はある。なかでも、あの有名なチャイコフスキーのバレエ曲『白鳥の湖』もこの説話をもとに作られたものであると『神話の森:イザナギ・イザナミから羽衣の天女まで』に記載されている。 そして、昔話として今も子どもに親しまれている『天女のはごろも』という絵本作品も有名である。 ---- ====【考察】==== この絵を見たときに、違和感を覚える点がいくつかあることに着目する。それは、私たち現代人は既に、華やかで優美な羽衣の天女のイメージを持ってしまっているからである。そういった先入観に囚われることによって、この広重が描いた天女に違和感を抱くのである。 次に、違和感を覚えた点を整理し、考察する。また、華やかに描かれた『雙筆五十三次 江尻』の天女と比較して相違している点、類似している点に分け、考察していく。 〈類似点〉 (1)天女の鳥化 『東海道五十三対 江尻』で描かれた天女と、『雙筆五十三次 江尻』で描かれた天女のどちらも、足が無くなり、鳥の尾っぽのような羽が連なったものとなっている。また、『雙筆五十三次 江尻』の天女は、はっきりと背中の辺りから、鳥の翼が生えている。『東海道五十三対 江尻』の天女は少し判りづらいが、天女から見て左側の肘辺りに翼のようなものが確認できる。明らかに、どちらの天女も鳥に化身している。これは、羽衣伝説の「白鳥処女型」の話に見られる特徴と一致していると考える。 (2)天女の飛翔 どちらも地上から足が離れ、昇天している様子がわかる。 (3)富士・松・駿海(船の帆)・雲が描かれている 構図が違うため、それぞれの配置は異なっているが、四点は両者ともに描かれている。少し違う点を挙げるとするならば、『東海道五十三対 江尻』の松は、一本に絞られている点である。推測だが、これが天女が羽衣をかけた伝説の「羽衣松」であると考える。 (4)漁夫の存在 羽衣説話では、天女と関わりを持つ男(老夫婦の場合もある)の存在が重要視されている。しかし、このどちらの作品も男の姿を描いていない。これは物語絵としての機能を果たしていると考える。男をあえて描かないことによって、絵を観る人と、この天女を見る男の存在を近づけていると考える。それは、男(漁夫)がこちら側の現実世界の人物で、天女が異界の人物であるということをはっきりと位置づけ、この物語の幻想的な描写をより強いものにしていると考える。 〈相違点〉 (以下、『東海道五十三対 江尻』に目線をおく) (1)絵からの飛び出し 『東海道五十三対』の天女は、絵の枠からの飛び出しが目立って見える。それに対して『雙筆五十三次』の場合は、天女を取り巻く雲のほんの一部、枠からのはみ出しが見受けられるが、天女の著しい絵からの飛び出しは見受けられない。『東海道五十三対』の方は、まさに今、天界へ飛翔する躍動感が伝わってくるのに対して、『雙筆五十三次』の天女はただ空中を優雅に漂っている風にしか見受けられない。これは意図的なものであると考える。 (2)簡素な着物 『雙筆五十三次』の天女の着物は色も鮮やかであり、優美な容姿で描かれているのに対して、『東海道五十三対』の天女は庶民的な柄・色の着物を身に纏っている。天女の印象が『雙筆五十三次』の方は優美で艶やかであるのに、『東海道五十三対』の方は簡素・質素で「庶民派な天女」とでもいうような印象を与えている。こういったように、天女の描き方が明らかに対象的である。 (3)手ぬぐい 『雙筆五十三次』の天女は、現代でいうストールのような綺麗な布を身に纏っている。 『東海道五十三次』の天女は、そのようなものが見受けられず、代わりに手ぬぐい(豆絞り風なもの)を右肩に掛けている。 浮世絵に手ぬぐいが描かれている作品は少なくない。なぜなら、歌舞伎役者にとって手ぬぐいは広告のような役割を果たしていたからである。名前や、家号を手ぬぐいのデザインとして用いたものが、庶民の憧れであった。このように、役者絵に登場するものの他、手ぬぐいを頭に被る女性などが描かれている作品がある。ここでは『東海道五十三対 江尻』の天女のように、手ぬぐいを肩に掛けているように描かれている作品に絞って見る。『雙筆五十三次 平塚』に描かれる女は御膳を運んでいる。[http://metro2.tokyo.opac.jp/tml/tpic/imagedata/toritsu/ukiyoe/0C/061-C002-008.jpg] また、役者絵であることが記載されている作品だが、同じく手ぬぐいを肩に掛ける女が描かれた豊国の作品も 掲載する。[http://metro2.tokyo.opac.jp/tml/tpic/imagedata/toritsu/ukiyoe/M1/M141-017-13(03).jpg]この二つの作品に共通して言えることは、どちらの女性も家事(御膳やお茶を運ぶなど)をしているという点である。この点から、『東海道五十三対』に描かれた天女も、漁夫の妻となり、家事に従事していたことをニュアンスとして伝えていたのではないかと考える。 次に、手ぬぐいの歴史について記載された箇所を、雑誌『平凡社 太陽 №280 特集・木綿さわやか』より引用する。 ''手ぬぐいの歴史は古く、手を拭うための小ぎれ、というより古代から儀礼装身具として冠(かむ)ることにおこっているふしが多いし、'' ''それが庶民風俗に於る「てぬぐい」の原点といっても過言ではない。(中略)'' ''江戸中期には、若い娘たちにとって五尺てぬぐいはあこがれであり、若い衆から贈られる五尺てぬぐいは求婚を意味し、受け取れば'' ''婚約成立にもなる(後略)'' ここで着目するのが「江戸時代では手ぬぐいを贈ると求婚を意味し、受け取ると婚約が成立する」という点である。確かに、図版の翻刻の部分で漁夫が天女を妻としたという記述がある。この手ぬぐいが意味するものは、男と婚姻関係があった(成立していた)ということ、または謡曲『羽衣』の解説内容を踏まえ、男が求婚の証に天女に手拭いを渡したが、結婚せずに天に戻っていったという意味のどちらとも取れるのではないだろうか。しかし、前述した手ぬぐいを肩に掛け、家事をする女性の姿が描かれている点も考慮すると、やはり、男と婚姻関係を結び、人間界で生活を営んでいた天女がある日、羽衣を見つけ、衝動的に昇天したので、庶民の身なりをしているという風に考えるのが自然であるように思う。 『東海道五十三対 江尻』は、物語絵と名所絵が融合した作品である。広重の名所絵はどれも写真のようにリアルで、この『東海道五十三対 江尻』の物語絵的要素に関しても、あえて「庶民派の天女」を描くことによって観る人に、天女の存在をより近いものに感じさせるような、この羽衣説話がノンフィクションであったかのようなリアリティーを与える効果を持って描かれているのだと考えることができる。 ====《参考文献・URL》==== 『原色浮世絵大百科事典 第4巻(画題-説話・伝説・戯曲)』鈴木重三執筆 東京:大修館書店 1981年11月 『原色浮世絵大百科事典 第9巻(広重-清親)』山口桂三郎,浅野秀剛執筆 東京:大修館書店 1981年8月 『神話の森:イザナギ・イザナミから羽衣の天女まで』山本節著 東京:大修館書店 1989年4月 『広重:東海道五十三次:保永堂版』鈴木重三他 東京:岩波書店 2004年1月 『名品揃物浮世絵⑫ 広重Ⅲ』山口桂三郎著 東京:ぎょうせい 1992年4月 『広重「浮世絵を読む」5』浅野秀剛・吉田伸之著 朝日新聞社 1998年 『広重の東海道五拾三次旅景色天保懐宝道中図で辿る』 堀晃明著 東京:人文社 1997年 『浮世絵大事典』国際浮世絵学会編 東京堂出版 2008年6月 『謡曲集上・下』横道萬里雄・表章著 岩波書店 昭和38年2月 雑誌『太陽№280 特集・木綿さわやか』「染絵てぬぐい」川上桂司著 平凡社 昭和60年 『天女のはごろも』再話:小澤俊夫/時恭子 絵:田代和子 くもん出版 2008年 清水市観光コンベンション協会HP[http://www.shizuoka-cvb.or.jp/] Tokyo Metropolitan Library 貴重資料画像データベース[http://metro.tokyo.opac.jp/tml/tpic/]
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