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あきのよながものがたり ---- =画題= ===画像(Open)=== *[http://www.dh-jac.net/db/nishikie/results.php?enter=portal&f85=秋夜長物語&-format=resultsp.htm&-max=50&f9=*&f11=1 ARC浮世絵検索システム] *[http://ukiyo-e.org/search?q=秋夜長物語 Ukiyo-e.org] *[http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/search.aspx?searchText=秋夜長物語 大英博物館Collection_Online] *[http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/search?q=秋夜長物語 東京国立博物館] *[http://bunka.nii.ac.jp/heritages/search/freetext:秋夜長物語 文化遺産オンラインDB] *[https://www.google.co.jp/search?q=秋夜長物語 Google_Search] *[http://ci.nii.ac.jp/search?q=秋夜長物語 CiNii論文検索] *[http://ci.nii.ac.jp/books/search?advanced=false&l=ja&q=秋夜長物語 CiNii図書検索] ===解説=== ===画題辞典=== 西山の胆西上人というが、梅若丸の事によりて道心を起したること記るせる物語で、永応頃の作ならんという。之を絵巻に画けるものに、 土佐光長の筆あり。 (『画題辞典』斎藤隆三) [[category:画題|あ]] ===東洋画題綜覧=== 室町時代の物語で、梗概は[[後白河天皇]]の御時、瞻西上人がまだ桂海といひ[[叡山]]東塔の律師であつた時、[[三井寺]]の幼児梅若を見初め、これと契を結んだことが因となり、両山の間に争が起り、三井寺は焼き払はれ、梅若は勢多の橋から身を投げ、桂海は西山の岩倉に庵を結び、後に東山の雲居寺に入り行ひすますに至る、作者は詳かでないが、『考古画譜』には左の如く記してゐる。 道の幸に云ふ、秋夜長物語詞書をうつす、寂蓮法師の筆也、絵は光長といひ伝へたれどもさだらかならず、躬行按ずるに、此のさうしは、西山の瞻西上人、梅若丸の事に依りて、道心おこししものがたりなるが、古物語類字抄に、永応の頃などに出でしものならむといへり、げに文体さこそ見えたれ、さて此の物語本文に、後堀川院の御宇に、西山のせんざい上人とて云々と、時代さだかに記したるを、その御代よりもやゝ古く、かの僧正の未生已前なりけむ、長寛文治の頃なりし、寂蓮光長に、この物語の書画あらむこと、所謂道風朝臣の朗詠集のたぐひといひつべし。 此の『秋夜長物語』を絵巻に画きたるものとしては、土佐光長の筆といふもの伝へられ、近くは、帝国美術院第一回展覧会に、梥本一洋の作がある。 (『東洋画題綜覧』金井紫雲) [[category:画題|あ]]
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